去年、坂本龍一の「僕はあと何回満月を見るだろう」を読んだ。その時の記事は、ピアノ停滞期真っ只中の私にいろいろなことを教えてくれたということを記録している。
この本のタイトル、癌と闘っていた坂本さんの想いが凝縮されている。
僕はあと何回満月を見るだろう
実はこの本のタイトル は坂本氏本人の言葉ではなく、坂本氏が音楽を担当した映画 The Sheltering Sky のエンディングで語られる原作者 Paul Bowles の言葉だそうだ。
そのThe Sheltering Sky という映画の中の言葉を抜粋した。
“Because we don't know when we will die, we get to think of life as an inexhaustible well. Yet everything happens only a certain number of times, and a very small number really. How many more times will you remember a certain afternoon of your childhood, an afternoon that is so deeply a part of your being that you can't even conceive of your life without it? Perhaps four, five times more, perhaps not even that. How many more times will you watch the full moon rise? Perhaps 20. And yet it all seems limitless.” ― Paul Bowles
人は自分がいつ死ぬかということを知らないから、人生は枯れることのない井戸だと思ったりする。でも、全てのものごとは、ごく限られた回数しか起こらない。実際のところ、ほんとに少ない回数しか起こらない。例えば、子どもの頃のある日の思い出 ー 当時はそれ無しには僕の人生は語れないと思うくらいに、重要な人生の一部と思えた出来事ですら、あと何回思い出すことがあるだろうか?おそらくあと4回か5回?もしかしたらそれ以下かも。君はあと何回満月をみるだろう?たぶん20回?これからも無限にそのチャンスはあるように思えるかもしれないけど。ーポール ボウルズ (訳 Gari)
よく考えてみると深いな〜。満月の夜は必ず月に一度やってくる。でもお天気が悪かったり、体調が悪かったりしたら見られない。それでも一年の半分くらいは、物理的に満月を見ることができる夜はありそうだけど、果たして私は昨年一年の間に満月を何回見ただろうか?もしかすると一度も見てなかったかもしれない。仮に見たとしてもそれは偶然夜にドライブしている時に垣間見たであろう月。常にチャンスがありそうで、その貴重なチャンスをみすみす逃している。そしてそういうチャンスを逃していたことにすら気がつかなかったりする。
今の私自身、おかげさまで今のところは健康上これといって大きな問題は抱えていない。停滞期でピアノの練習ができないなんて甘えてる。この本のタイトル、そのオリジナルとなったPaul Bowles の言葉から、自分自身が貴重な時間を無駄に使っていることに気づかされた。これから先の私、満月を見るたびに、それこそあと何回満月を見るかわからないし、意識的に見に行こうとも思っていないけれど、その度に時間の貴重さを改めて思い出すことになるだろう。
コメント欄について
コメントは承認制ではありませんので、コメント欄右下の「公開」という文字をクリックしていただけると、即反映します。Googleアカウントが無い方でもご自由にコメントしていただけます。GoogleアカウントのBoxをクリックするとお名前を入力することも可能です。bloggerの不具合でコメントがうまく反映できない場合は、お手数ですが再度入れ直していただけると幸いです。
コメント