「Gariさん、そろそろやめませんか?」
って先生に言われたら、ちょっとドキッとしますよね。
えっ?何を?
その〜まさかレッスンをやめませんかってことですかい?
「譜読みできてひととおり弾けたらパス!という、
そういう勿体ない行為をそろそろやめませんか?」
え〜、先生、こないだ『ゴールは自分で決める』って素晴らしいお話してくれたじゃない。
ゆるゆるのゴールで満足するのも、大人ピアノのあり方のひとつと思っても良いのでは?
私はいわゆる「煮詰める」作業があまり好きではなく、とりあえずひととおりサラッと弾けたら、多少の、いや、かなりのミスタッチが残ったままでも自分なりに満足してしまっているのが現状。
でも先生にそういうことを「そろそろやめませんか。」と言われると、考えさせられる。
先生の立場では、譜読みがある程度終わって、さぁ、これから肉付けしましょうというところでやめてしまう私のような在り方を見ていると、教え甲斐が無いのかもしれないと思ってきた。譜読み終わったら次、というようなアプローチなら、そもそも先生はいなくても、独学で良いのかもしれない。
特にど先生が難色を示したのは、これまでの夏のプロジェクトにしていたバッハのゴルトベルク変奏曲とショパンのノクターンマラソン。これらは譜読みが終わったら次、というなんとも勿体無い使い方をしてきている。遊び弾きに毛が生えたような取り組みだ。そもそもバッハ最高傑作と言われるゴルトベルクをサラッと譜読みして終わらせるなんてなんと不謹慎な行為だったのだろう。ショパンのノクターンも然りで、きちんと仕上げないと、あの美しい芸術の良さを10%も理解しないで次に進んでいたようなもんだ。
まぁ再開して約3年、試行錯誤を繰り返し、これまでの再開ピアノライフ、120%エンジョイしてきたが、たしかにはもう少し一歩進んだアプローチをした方がいいのかも。せっかくレッスンを受けているのに、煮詰めずに次々と新曲に手を出すのもそろそろ見直そうか。
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コメント
わたしは音が並んでからが本当の練習だと思っていて、はっきりいうとそこから先はきついです。きついけど、それでもあきらめずに地味にやっていると、たとえ聞いてる人には分からないかもしれないほどの小さな変化でも、本番直前でもよくなるんですよ。そして先生は必ずそれを分かってくれて、自分でも嬉しいです。
そこまでしないと自分比ですが本番でちゃんと弾けるようにならないんですよ。ちゃんと弾けないと本番の楽しさを味わえないのでやっています(あくまでもわたしの場合)。
でもそこは大人の趣味なので、ひとぞれぞれでいいと思うんですよねえ。
何だか身につまされるような内容です。
私も、今までのは遊び弾きに毛が生えた程度のような感じがして、もうワンステップ高い次元に踏み込んだ方が良い気がしつつ、でも、全曲どれも真剣勝負では身が持たないし時間も足りないし、と言った感じです。
いくら時間かけてでも能力の範囲内で納得いくまで極める曲と、そこまではしない曲に分けて取り組んだらいいのかも…?
お互い、試行錯誤しながらより良いピアノライフを目指した頑張りましょう(^^♪
かつです。
コメントしたい記事が沢山あって困ります!!
((´∀`))ケラケラ
「そろそろやめませんか?」
そんなこと言われたらびっくりしますよね。
ピアノ愛好家としては、ひとそれぞれ楽しみかたがあって良い!と思いますが、先生にも「こうなって欲しい」という気持ちがあるのでしょうね。
私には素晴らしい演奏に聴こえても、Gariさんの実力を知っている先生は物足りなく感じてしまう
それは「Gariさんならもっと上手く弾けるはず」という期待の表れでかもしれませんね。
もちろん楽しい1番なので、Gariさんが楽しめる範囲で良いと思いますが
先生が思う、Gariさんの煮詰め完全に仕上がった演奏
私も聴いてみたいかも♪